ドラクエミュージアムで発想の原点に戻った

洲本市で行われていた「ドラクエミュージアム」に足を運んだ。
洲本市と岬町のPRイベントサポートに入った際、そういうイベントがあると聞いていたが、中々時間が取れなくて終了2日前にようやく行ってきたのだ。

なお、私はファイナルファンタジー派である。しかし、ドラクエというのは青春時代そのものなのだ。
しかし、今回のミュージアムはデザインの視点でも非常に参考になった。思い出話だけではない。

ゲームと文字と絵の融合

撮影禁止のロト三部作(Ⅲ→Ⅰ→Ⅱ)では、油絵にその時の情景の文章が展示されている。
まるで絵本の様。懐かしい気持ちもあるが、あの長い物語を切り取りそういう文章と絵で表現したのかという気持ち。音声は無い。
その文書量が絶妙なのだ。ここはゲームショウではない、ミュージアムなのだからこれでいい。
紡績工場跡の赤レンガの壁は、物語の表現に一役買っている。
「ドラクエの記念館ではない、勇者の記念館。」という印象を持った。

苦労を感じるノート

堀井雄二氏が洲本出身ということでドラクエミュージアムが来たそうだが、そのノートは生みの苦労がにじみ出ている。
手描きの資料。地図、呪文、アイテム、武器、会話の内容。すべてが手描き。
そう、私も昔はゲームプログラマーを目指したもの。コードやフロチャート、仕様等は全部ノートに書いたものだ。
今はパソコンを使って共有することも多いが、実は手描きメモを書き写すことが多い。
「ああ、堀井さんも同じやり方だったんだ。フォーマットもほぼ同じだ。」
30年前の答え合わせが出来たような気持ちになる。

発想というのは自由で楽しい事でなければならない

ゲームシナリオというのは、まるで神になった様な気持ちで作成することになる。
どんなキャラクターを生み出すのか、どんな地図を作るのか。まるで創造主だ。
ルールはいらない。ルールは作ればいいのだ。とにかく面白いことが重要。
そうでないと、遊んでくれない。

ゲームもイベントも同じだ

自分が面白いと思うことを徹底的に追及する。場合によっては究極の自己満足になるかもしれない。
しかし、究極の自己満足を30年続けることができれば、それは伝説になる。
それがドラクエ、堀井雄二氏の凄さだと思う。もちろん、すぎやまこういち氏、鳥山明氏もそうだ。

自分を信じて継続する(させる)こと。それはブランドなのだ。

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