大化の改新を面白おかしくプレゼンするとこうなる(前編)

大化の改新

どもです。

伝えることを楽しくするプレゼン屋の栗瀬です。

あるヒントがあって、実験的にこんな記事をかいてみました。(本当はちょっと違うのだが)

というのも、ウチの娘が歴史が嫌いなんで、面白く解説したらどうなるのかと試してみています。ということで、今回のプレゼンは

大化の改新です。

歴史で必ず耳にする言葉ですよね。この大化の改新を一言で言うと、調子に乗った政治家を成敗!この一言に尽きます。

幅を利かせていた豪族をたたき出せ!キャンペーン。そう、この時代(古墳時代)は、豪族の世界。天皇家の下に豪族がいて、そこからの寄付の様なもので天皇家は暮らしていました。

特に幅を利かせていたのが、蘇我ファミリー。

蘇我ファミリーは天皇との婚姻関係をたくさん結び、朝廷を好きにしていました。豪族は、土地や住民を自分の物の様にして、富を得ていた訳ですね。これを、天皇家が気持ちよく見ている訳がありません。挙句の果ては、天皇でも無いのに、他の豪族から天皇へ納めるお金を横領するわ、古墳を作ってしまおうとする始末。奈良の石舞台古墳は蘇我家の古墳と言われていますが、そもそも古墳は天皇家の墓所ですから、とんでもない横暴ということなのです。

これにぶちキレている人がいました。

中臣鎌子(後の藤原鎌足)です。(以降 鎌子)

鎌子は、天皇家が行う儀式を担当する役人でした。しかし、蘇我ファミリーは何を勘違いしたのか、天皇家を差し置いて儀式を行います。当然ですが、鎌子はあほらしくてやる気にもなりません。さらに、この時代は、親が偉くなったら、その子どもは、その役職を継ぐのです。

つまり、昔、活躍した蘇我馬子のポストは、パッパラパーの息子の蝦夷が次いで、さらにパッパラパーの入鹿が継いでしまっています。

「やってらんね~」

鎌子はおもっていたことでしょう。はっきり言って、蘇我家のせいで朝廷は腐っていました。蘇我ファミリーをどうにかしたいと思っていたのです。しかし、彼は役人の一人、たてついた所で玉砕してしまいます。天皇家で中心になってくれる人を探していました。

まず、当たったのが、次の候補だった軽皇子。

しかし、彼は仏教びいきで神道系の鎌子にはかまってくれません。

「こりゃだめだ、器ちっちぇ!」

2番目の天皇候補に声をかけます。

中大兄皇子(後の天智天皇)の登場です。

中大兄皇子(以降 皇子)も、この蘇我ファミリーの傍若無人の振る舞いにイライラしていました。彼はその当時の天皇の息子。次期天皇候補の一人なのに適当な扱い。さらに、政治のカリスマというべき、聖徳太子信者だった皇子は、その後皇族と婚姻を結び、生まれた太子ジュニア(山背大兄王)が天皇になる妨害をした蘇我ファミリーがムカついています。さらに、自分の父母(両方とも天皇)を差し置いて、我がもの顔で朝廷にいる蘇我ファミリーがうっとおしい。

「親の七光りで調子にのってんじゃねえよ」

そう思ったのかどうかは定かではありませんが、蘇我ファミリーは、親戚関係にあるわ、あの太子さんのパートナーだった馬子さんの直系です。おいそれとたてつく訳にはいかない。朝廷では彼の味方が多いので、旨く動けません。

そこで、出会ったのが鎌子なのです。

実は、皇子と鎌子は同じ学校で、儒教を学んでいました。儒教とは孔子の教え。その教科書である論語では、蘇我ファミリーの様な勘違い豪族が国をめちゃくちゃにしているということが度々でているのです。

儒学を学んだ彼らは意気投合。皇子と鎌子が出会ったことで、協力タッグが出来上がりました。頭のキレる皇子と、腕っ節の強い鎌子。さらにここに、蘇我ファミリー内から蘇我倉山田石川麻呂が仲間になります。

いよいよ事件が発生します!

蘇我ファミリーのボンボン、蘇我入鹿を暗殺してしまいます。なんと朝廷の中での犯行です。その後、親の蝦夷を自害させてしまいます。怖いですね。このことで、朝廷内はひっくりかえってしまいます。

そりゃそうです。今の日本の総理大臣が殺されてしまい、裏で糸を引いている人までも自殺するのですから。現代でこんなことがあったら、マフィアの犯行か?なんて新聞にのることでしょう。でも、これだけが大化の改新ではないのです。これじゃ単なる反乱です。

皆さんが大化の改新と聞くと、ココの部分をいいますよね。

実は違います。

乙巳の変(いっしのへん)と言います

大化の改新の前編なんですね。厳密には、大化の改新はこの後の政治についてのことです。でも、なぜ、彼らがクーデターを起こしたのか。そこを理解する必要があったのです。それを理解すると、その後の政策がしっくりして、覚えやすくなります。

後編では、その政策について面白おかしく説明していきましょう。

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