コンセプト、言うのは簡単、でも浅い。

綺麗に575で収まった。
なにかをやるにつけて、コンセプトは?と、こだわる人がいる。この商品のコンセプトは?とか。
時々「コンテプトってどうやって作りますか?」と質問すると、しどろもどろになる。回答できても、顧客が誰で、どの様に使うのか?や、やれ、ブレーンストーミングがとなる。
人によっては「専門のコンサルに・・・・」なんてことを恥ずかしげもなく言うのだ。

では、コンセプトを会議で作ろうとなると、わずか2時間程度の会議で作ろうとする。もし、2時間で明確で強固なコンセプトができるのなら、いますぐコンサルに転職した方がいい。きっと、あなたは敏腕コンサルになることだろう。ちなみに、宿題もなくそんなセミナーをするコンサルなら、依頼は辞めた方がいいだろう。コンセプトとはそのぐらい難しいものだ。

ブレーンストーミングの本質は脳みそを空にすること

良くブレーンストーミングを10分ぐらいおこなって「ああ、出し尽くした。」という人がいる。そういう人はすぐに企画から外した方がいい。企画が出来ない人だ。まず、10分ぐらいで頭の中を出し尽くせるということは、今後新しいことは期待できない。また、10分程度で考えることを辞めるのだから、苦難にぶち当たってもすぐに諦めるだろう。
人間の頭は優秀なのだ。10分程度で枯渇することは無い。本来ブレーンストーミングは枯渇した後は重要なのだ。絞り出した、無理やりのアイディアにこそ面白みと光明が見えるのだ。地球滅亡がテーマの映画の様に、人間窮地に追い込まれると色んなことが出来るようになる。人間はウルトラマンではないので、3分後からが勝負なのだ。
じゃあどのぐらいやればいいのか?できることなら8時間や24時間ぐらいやりなさい。ただ、会議室で行う必要はない。その間、ネットで調べ物をしてもいい、仕事をしてもいい。アイディアが沸いたらすぐに共有できる環境にしておけばいいのだ。自由勝手に行えばいい。とにかく頭の中をすべて空っぽにするまで行うのだ。

コンセプトとは相手になりきる

商品開発にしろ企画開発にしろ、相手が必要。そうしないと、たんなる研究者になってしまう。いや、研究だって相手がいる。自己満足なものに金を払うほど世の中は甘くない。
ブレーンストーミングで吐き出したアイディアを俯瞰で見てみる。そうなると、そこから必ず可能性が見えてくる。その可能性が見えてきたら、その可能性を欲する相手がいるのかどうか考えればいい。市場性が無ければ辞めればいいし、お蔵入りにしてもいい。お蔵入りというもの重要なことだ。私はプレゼンのプロだが、10年前は「ふーん」という世の中の流れ。それが、今は、「プレゼンのプロなんですね!」なんて、行ってもらえる・・・・こともある。テレビ番組の影響でプレゼンという言葉が一般的になったのだ。世の中の流れというものは面白い。時期を待つ、熟成させるというのは必要なことなのだ。
もし、相手が見つかり、どの様な経験や感想を持たせたいと思うのなら、次にリサーチが必要になる。これもよく見受けられるのは、会議室の中でサザエさん一家を語りだす。サザエさん一家というのは昭和40代ぐらいの典型的なモデルケースだ。そういうイメージだけで話をする。それは、相手になりきっていない。単に自分の理想像を語っているだけ。もう少し厳しくいうと、手抜きで楽をしているだけだ。今の世の中、リサーチ結果なんてインターネットで手に入る。国民生活調査やら一橋大学を代表として調査研究機関が公開している。それを調べれば良いだけ。スマートフォンでも調べられる。それをやらない。
相手になりきるなら、調査結果を台本にしてなりきることだ。年収はどのぐらい、家族構成はどうだろう。その上でどういう生活をしていて、どういう生活を望んでいるのか?相手になりきれば、ブレーンストーミングからの答えについて光るものが見えるものだ。

考えない人は会議では害

前職であるプロジェクトに参加したことがあった。それは、研修を兼ねたプロジェクトだった為、かなりのハードスケジュールでスパルタ。
ブレーンストーミングも徹夜。くれぐれも言っておくが、この時間は仕事でも研修ではなく自主的に集まって課題をこなす時間だ。昨今の問題とは事情が違うのであしからず。そこで、考えない人がいた。自分では課題もなにも行わず、評論だけを行う。結論が出ても後日それについて異議を申し立てるという、どこぞの国の外交問題の状態だ。もちろん、プロジェクトはほとんど頓挫。本人はプロジェクトに参加している優越感だけが先行していた。
会議の場で、そういう人が参加すると早々に「コンセプトはこれでいきましょう!」と言い出す。大抵は浅はかな考えだ。浅はかというのはどちらかというと、その場しのぎの案。考えないのだから、なんとなくのイメージで作り出すキャッチコピーの様なものなのだ。では、なぜ、それが良くないのか?大抵の場合は、その薄っぺらいテーマをコンセプトとして後で生まれたアイディアを無理やりにこじつけようとする。残念ながらそれが出来てしまうのだ。そうなると、軸はぶれる。ぶれると何をやっているのかがわからなくなるものだ。
だからこそ、考えない人は会議に呼ぶ必要はない。害なのだ。

コンセプトは煮詰めて出すもの

色々と考えて、紆余曲折しそこで生まれたものこそ大切なものだ。徹底的に考えてゆるぎないものを創りだす。
少しの会議で思いつきで出すコンセプトなんて、無い方がましだ。提案をするならしっかりとその経緯、イメージを説明する。この時間を惜しむのなら、そもそもコンセプトなんて言わない方がいい。

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