言葉は手段に過ぎないのです

東京都北区議会に筆談ホステスの斉藤里恵さんがトップ当選し、議会に初出席とされました。
シングルマザーであり、聴覚障害者である彼女。
聴覚障害がある故に言葉も不自由。

伝えるというのは話すことだけではない

話すことが伝えることであるなら、彼女はホステスとしても働けなかったでしょうし、選挙活動も難しかったでしょう。しかし、結果はホステスとして働くことができ、当選もできた。では、話すことは書くことで代用できたのか?そういうものではありませんよね。
人によっては物珍しさ。なんて言われるかもしれません。でも、それだけではありませんよね。

思いがあるのかどうか

もし、私が筆談をしても、何にも伝わらないでしょう。書くことでないと伝えられないシチュエーションがあまりありませんから。でも、そういうことなのです。斉藤さんは「筆談で伝えたい」という思いがあったんだろうと感じます。もちろん、仕事を全うする為でもありますが、そうであっても「伝えたい」という気持ちがあるからの行動。選挙戦でも、不自由にも話して一生懸命演説を行っていました。賛否両論ありますが、一生懸命伝えることが、人が聴く耳を持つもっともスタンダードな行動です。

手段を選ぶそれだけです

私は指導において「口下手でも大丈夫」と必ず言います。
話すことは伝える手段の一つ。パワーポイントで資料を表示したり、資料を配る等の延長です。でも、一番重要なのは伝え手の姿。一生懸命に伝えようと努力しているのかどうかで変わってきます。よく見かけるのは、下手に話せるからといって、台本を作って流暢に話す人。どんなに饒舌でも言葉が軽くなってしまい、失敗してしまいまうもの。
どんな、手段でもそこに思いが無いとだめなのです。

手段は必然性

なぜ、その手段を使うのかを考えるそれが重要。何も考えずにパワーポイントを使っていては伝わることも伝わりません。

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